ふるさと人物誌1  我が国種痘の祖 「緒方 春朔」(おがた しゅんさく)


ふるさと人物誌ロゴ ◆わが国種痘の祖 緒方春朔 緒方 春朔
 緒方春朔=名は惟章(1748~1810)は、久留米藩瓦林家の生まれですが、医業緒方家の養子となって医者になりました。長崎に留学するなどして医学の勉強に励みましたが、30歳の頃に秋月に移り住んで医業につとめ、1789年に秋月藩主黒田長舒にその才能を認められて藩医となりました。



●春朔が挑んだ恐ろしい伝染病

 春朔は、「ほうそう」の予防に強い関心を持ち、熱心に研究するようになりました。「ほうそう」というのは、現在でいう天然痘のことです。
 この病気は伝染病の一種で、これに罹ると死亡率が高く、運よく助かっても顔や身体にできた吹き出ものの痕が残って、みにくい顔になってしまう恐ろしい病気です。いまは、予防や治療の方法が進み、天然痘は絶滅していますが、江戸時代までは、数年毎に「ほうそう」が流行し、多くの人々、それも子供がたくさん死んでいました。
 それで、当時の医者に「ほうそう」の研究をする人が何人もいたのですがなかなかよい予防法が見つかりませんでした。
 緒方春朔は、たくさんの医学書を読み、インドや中国で考案された方法などを調べた結果「鼻乾苗法」という予防法を発見するにいたりました。この方法は、すでに発病している患者の「痘」=吹き出ものの膿=を採取し、これを乾かして「痘苗」をつくり、それを、健康な人の鼻から吸入させて、体内に「ほうそう」の免疫をつくり出そうというもので、これを「種痘」といいます。

●春朔のよき理解者天野甚左衛門

 しかし、医学の研究というのは、理論や実験が完成しても、人間の身体で実験してみて成功しなければ完全とはいえません。ですが、人の生命にかかわる実験です。失敗すれば人が死ぬのですから、おいそれと簡単に人体実験はできません。春朔は、非常に困っていました。
 このとき協力を申し出た人が上秋月の大庄屋、天野甚左衛門です。甚左衛門は春朔が秋月に移ってきたときに自宅の離れを貸すなどして以前から親交があり、春朔の研究の後押しをしてきた人であります。
 ある日、甚左衛門が春朔を訪ねてきて研究の進みぐあいを尋ねました。春朔は、「種痘の成功に確信を持っています。痘苗の用意もしているのですが…いよいよとなると人様のお子を試験台にすることには気が引けます…お金を出して希望者を募ってはどうかとすすめる人もいるが、人の命をお金で買うようなことはしたくありません。こんなとき、自分に子供がいればわが子で実験できるのですが、私には子供がいないのでどうすることもできません」と力なく答えました。
 それを聞いた甚左衛門は「私には、二人の子供がいます。この子たちに実験してごらんなさい」と言いました。春朔は驚きましたがこの申し出を断りました。
 甚左衛門は家に帰って、自分たちの子供を種痘の実験に提供したいと彼の妻に相談しました。妻はとんでもないことと泣いて激しく反対しました。
 しかし、甚左衛門は、こんこんと熱心に妻を説得しました。「この実験が成功すれば私たちの二人の子を含めて、世間の多くの子供たちがほうそうの災いから救われるではないか。私は春朔先生の熱心な研究のお姿を見てきている。その先生が種痘の成功に自信をもっていなさるのだから、私たちもそれを信じようではないか」。
 言葉をつくして説く甚左衛門の熱意に打たれて彼の妻も心を決め、「もしも不幸にしてこの子たちが死ぬようなことがあってら…そのときは私たち夫婦も死にましょう」と覚悟を定めて同意しました。
 数日後に、天野夫妻は春朔を訪ねて「どうぞ、私どもの子供に種痘を試みてやってください」と頼みました。
 春朔は感激しましたが、それはできないと断りました。しかし、天野甚左衛門は、「私は先生のお人柄を尊敬しています。先生の研究が成功すると信じています。この実験が成功すれば、どれだけ多くの人々がほうそうという恐ろしい病気から救われるかもしれません。私の子供のために、また、世の中のたくさんの子供たちのために、どうぞ私の子たちに種痘を試してください」と頼みました。
 天野夫妻の誠意あふれる決心に春朔は大変感動し、「私も命をかけて種痘を試させていただきます」そういって涙を流し、甚左衛門の手を強く握りました。

●はじめての『種痘』

 1790年2月14日、緒方春朔は、痘苗を持参して天野家に行き、二人の子供に種痘の術を試みました。
 それから、1週間後に、男の子が熱を出し鼻がつまって風邪のような症状になりました。その二日後に、女の子の方にも同じ症状がでたので、これは種痘の結果であると診断しました。
 それから三日後には二人とも顔や体に赤い発疹ができましたが、10日ほどで熱が下がり発疹も治って、もとの健康な身体にもどりました。緒方春朔の試みた種痘法は成功したのです。
 彼の長年の苦労が報われました。春朔はもとより天野甚左衛門と彼の妻も大喜びしました。その夜には知人を招いて祝宴を開いたと春朔は著書に書いています。

●天然痘根絶へ続く道

 この後、上秋月の本田という人の二人の子供にも種痘を実験して、これも成功をおさめましたので、春朔は、自分の種痘法に大きな自信を持ったのであります。
 ところが、世間の人々は春朔の種痘法の成功をすぐには認めようとはしませんでした。同僚の医者のなかには、あれはごまかしだ、偶然だなどと陰口を言う人もいました。彼は、そんな中傷にもくじけないで自分の種痘法の正しさを説いていきました。
 その努力が世間に認められるようになり、彼の医院に種痘を受けにくる人が増えてきました。
 春朔は、彼の著書[種痘必順弁]の中に次のように書いています。
 「私が、種痘を施した子供は千数百人いるけれども、まだ一人も死なせた者はなく、顔にみにくい痘痕のあるものは誰もいない」。
 春朔は、彼の種痘法を自分だけの秘伝とせずに他の医者にも広めました。
 彼の種痘法を習いに入門した医者は百人近くいますが、近郷はもちろん江戸、大阪、京都など遠方からの人がたくさんいて、緒方春朔の名声が全国に広まったようすがわかります。
秋月城址にある緒方春朔の顕彰碑 緒方春朔が種痘の人体実験に成功した6年後に、イギリスのエドワード・ジェンナーは牛痘接種による種痘法を自分の子供に実験して成功しています。春朔やジェンナーたちの種痘の研究が今日に引き継がれて、恐ろしい天然痘が地球上から根絶されたのです。(1980年、WHOは「世界天然痘根絶」を宣言)
 緒方春朔は1810年に63歳で亡くなりましたが、彼の墓は秋月の長生寺にあります。また、昭和2年に地元の医師会が建てた緒方春朔の顕彰碑が秋月城址梅園にあります。

【参考資料】三浦末雄著/物語秋月史・下巻、熊本正熙著/吾国の種痘と緒方春朔、富田英壽著/種痘の祖 緒方春朔

(広報あさくら平成18年7月1日号掲載)

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