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非核・恒久平和都市宣言

登録日:2011年03月21日

朝倉市の恒久平和都市宣言について

頓田の森 朝倉市では、平成20年3月27日付けで「朝倉市非核・恒久平和都市宣言」を行いました。
 これは、「世界の恒久平和を守りこの美しく豊かな地球を未来に引き継ぐことは人類共通の願望であり、明るく平和で安全な郷土を築くことが私たち朝倉市民に課せられた責務である」との考え方からくるものです。
 第二次世界大戦中、旧甘木町やその近郊には当時“東洋一”と称された大刀洗(たちあらい)飛行場(※(1))がありました。周辺には大刀洗陸軍飛行学校や航空廠(しょう)(※(2))、航空機製作所、陸軍病院など多くの軍事施設があり、先の大戦が終りを告げてから既に半世紀以上が過ぎた現在でも、その残された遺構が“戦争の歴史”を静かに物語っています。
 昭和20年3月27日、その大刀洗飛行場をねらった空襲があり関係者はもとより多くの一般の人たちが犠牲となりました。また、その空襲の際、立石(たていし)国民学校(現:朝倉市立立石小学校)の子どもたち31名が下校中に避難した頓田(とんた)の森で爆撃を受け、一瞬にしていたいけな命が奪われるという悲惨な出来事もありました。私たちはこの戦争によって失われたかけがえのない命の大切さ、尊さを胸に刻み続け、後世に伝えて行かなければいけないと考えます。
 しかし、時間が経つとともにこのような数多くの悲惨な出来事は私たちの記憶から薄れてゆき、平和を願う心が風化されようとしているのもまた事実です。
 朝倉市では、この郷土で起きた戦争による歴史的な事実を決して忘れることなく未来に語り継ぐために、そしてその歴史的に意味のある3月27日をもって非核・恒久平和都市宣言を行い市内外にその願いをアピールしていこうと考えました。


用語の説明

※(1)「大刀洗飛行場」
西日本における陸軍航空発祥の地であり、大正8年(1919年)10月、現在の朝倉市、筑前町、大刀洗町にまたがる46万坪(甲子園の38倍)の広大な面積を有した。
当時、日本陸軍が東洋一と誇った航空戦略の拠点であり特攻基地でもあった。

※(2)「航空廠」
飛行機、爆弾、弾薬等を調達し作戦戦域に届けるなどの補給のほか、損傷機の修理や改築を行う組織・機関であった。



経 過

頓田の森のシイの木 朝倉市は平成18年3月20日に旧甘木市と旧朝倉町、旧杷木町の1市2町が合併し誕生しました。平和宣言については旧市町で宣言していたことから、合併後、できるだけ早い段階で朝倉市としての非核・恒久平和都市宣言の策定が望まれていました。そこで、具体的には平成19年度より旧市町の宣言内容・経過及び他市の宣言状況等をふまえ宣言要領や時期等について検討をしてきたのです。
 朝倉市が平和宣言をするにあたっては、世界・国内の恒久平和を願う内容はもとより、市の独自性をアピールするうえにおいて市内で起こった二度と繰り返してはならない歴史的な事実(頓田の森の悲劇)等を盛り込むことが必要であると考えました。
 策定にあたっては、まず前述の考え方をもとに宣言文案を作成し、市議会はもとより広く市民のみなさんの考え方を盛り込みたかったことから、パブリックコメントや平和事業推進市民団体との意見交換等を活用することに努めました。
 また、平成19年9月議会においても宣言を含めた平和事業推進の旨の請願書が提出され、市議会の審議において採択されたこともあり、それぞれの内容を加味したうえで、最終的に市議会の同意を得て主文(朝倉市・朝倉市議会)と市民からのメッセージ(朝倉市平和事業実行委員会)の2部構成とすることになりました。


平成20年(2008年)3月


朝倉市平和事業実行委員会とは…

 朝倉市平和事業実行委員会とは、広く市民参加のもとに朝倉市における平和事業を推進するために設置された組織で、合併を機に行政主導でやっていた事業展開を民意で実践するため活動している平和事業推進市民団体です。
 日頃から平和を願う活動をしている市民団体の代表及び個人でメンバーを構成し、活動を展開しています。年間活動としては8月に実施する市民平和祭(劇団モチの木運営含む)や3月に行う大刀洗フィールドワーク(飛行場戦跡巡り)などがあります。


非核・恒久平和都市宣言文

 世界の恒久平和を守りこの美しく豊かな地球を未来に引き継ぐことは人類共通の願望であり、明るく平和で安全な郷土を築くことが私たち朝倉市民に課せられた責務です。
 しかし、今なお世界各地で紛争や戦争が繰り返され、核兵器を保有する国々が絶えないことは、世界の平和と人類の生存のみならず地球環境保全にも大きな脅威をもたらしています。我が国は世界唯一の核被爆国であるからこそ、広島・長崎の惨禍を絶対に繰り返させてはならないのです。
 また、この朝倉の地においても、昭和20年3月、1発の爆弾で31名の尊い児童の命が一瞬にして奪われた歴史的事実をはじめ、多くのかけがえのない大切な命が失われています。私たちは、その悲惨な出来事を永遠に忘れてはなりません。いかなる理由があろうとも、このような悲劇は二度とあってはならないのです。
 よって、私たち朝倉市民は、我が国の平和憲法の精神をふまえ、人類を破滅に導く核兵器の速やかなる廃絶と全ての生命を尊び、世界恒久平和の実現を望むべく平和への誓いを新たにし、ここに「非核・恒久平和都市」を宣言します。

      平成20年3月27日


福岡県朝倉市
福岡県朝倉市議会


朝倉市民からのメッセージ

私たちは伝えます。
先の大戦の時代、ふるさとの旧甘木町は「軍都」と呼ばれていました。西に広大な「大刀洗飛行場」、軍事物資と客を満載してひた走る「国鉄甘木線」の汽車、人で混雑する駅、にぎわう町。しかし、この列車で出征した若者の多くは帰らぬ人となりました。さらに昭和20年3月下旬、二度にわたる大刀洗飛行場大空襲で犠牲になった多数の死傷者、「頓田の森」で爆死した31名の子どもたち。ふるさとのこの歴史を、私たちには伝え続けていく義務と責任があります。

私たちは忘れません。
戦争には2つの顔があります。したことと、されたことと。日本はアメリカと戦争を起こし、アジアの人たちにも大変な苦しみと悲しみを与えてしまいました。一方で、広島と長崎への原爆投下に象徴される悲惨を、国土を焼き払われるという形で経験しました。さらには地上戦の行われた沖縄の悲劇。これらのことを、私たちは忘れるわけにはいきません。なぜなら、今のこの平和は、この犠牲者たちによって築かれたものだからです。

私たちは誓います。
これからも平和を守り続けていくために欠かせないものがあります。それは、日本国憲法の平和精神です。よその国ともめごとがおこっても決して武力に訴えないということ。戦争はしないということ。それはつまり、国の力による人殺しはしないということです。そのためには、全世界に誇る我が国の平和憲法がどうしても必要です。私たちは、歴史から学んだこの貴重な教訓を、決意も新たに守り抜くことを誓います。

私たちは行動します。
もう1つ大事なことがあります。それは、行動です。核戦争が始まれば、人類が滅びます。だから、私たちは自分のことと同時に、この地球のすべての人間についても考える必要があります。地球から核兵器と軍隊をなくすために何ができるのか。一人一人はちっぽけでも、みんなが平和のために考えて行動すれば、きっと世界は変わると信じます。そのための努力を、私たちは惜しみません。


朝倉市平和事業実行委員会


 

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