朝倉市 有形(参考資料) 昭和44年12月3日指定
朝倉市宮野 南淋寺
宝篋印塔は、仏塔の一種で、中国呉越王銭弘俶が宝篋印陀羅尼を納めて各地に送った八万四千の小塔に由来する。鎌倉時代以降、石造のものが盛んにつくられた。南淋寺は当初長淵にあったが、しばしば筑後川の洪水被害にあったため、貞和2年(1346)小弐頼尚の寄進によって現在地に移った。宝篋印塔は本堂西側に3基あり、1点は頼尚の継母 賀茂御庵宗修禅尼の遺髪塔と伝わっている。残る1点の来歴は不明。
![石造宝篋印塔](/www/contents/1297735978212/simple/1297736032409_SERVER_001_1297735978212_image1.png)
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朝倉市 有形(参考資料) 昭和44年12月3日指定
朝倉市宮野 南淋寺
宝篋印塔は、仏塔の一種で、中国呉越王銭弘俶が宝篋印陀羅尼を納めて各地に送った八万四千の小塔に由来する。鎌倉時代以降、石造のものが盛んにつくられた。南淋寺は当初長淵にあったが、しばしば筑後川の洪水被害にあったため、貞和2年(1346)小弐頼尚の寄進によって現在地に移った。宝篋印塔は本堂西側に3基あり、1点は頼尚の継母 賀茂御庵宗修禅尼の遺髪塔と伝わっている。残る1点の来歴は不明。