朝倉市 有形民俗 昭和58年9月1日指定
朝倉市杷木池田
兎城は、元禄・享保年間に活躍した俳人で、杷木上町に住んでいたと思われる。はじめ談林派に属したが、のちに芭蕉十哲のひとり志太野坡の門人となる。多くの蕉門の俳人たちと親交をもち、享保14年(1729)に『門鳴子』を撰集した後、その年12月に69才で没した。墓は杷木町役場前にあり、墓石の表面に「釈慶西兎城翁」、裏面に「かげろうに初陽炎や初笑い 藪家人先生」とある。

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朝倉市 有形民俗 昭和58年9月1日指定
朝倉市杷木池田
兎城は、元禄・享保年間に活躍した俳人で、杷木上町に住んでいたと思われる。はじめ談林派に属したが、のちに芭蕉十哲のひとり志太野坡の門人となる。多くの蕉門の俳人たちと親交をもち、享保14年(1729)に『門鳴子』を撰集した後、その年12月に69才で没した。墓は杷木町役場前にあり、墓石の表面に「釈慶西兎城翁」、裏面に「かげろうに初陽炎や初笑い 藪家人先生」とある。