山田堰の概要
【名称】 | 山田堰 |
【所在地】 | 朝倉市山田 |
【概要】 |
山田堰は、江戸時代に干ばつで苦しむ農民たちを救うため筑後川右岸の耕地を水田化するために設けられた井堰です。原型が造られたのは1663年、現在の形となったのは1790年です。その後、幾度も大洪水に見舞われますが、現在も当時の形を留めています。 山田堰から取られた水は、約652haの農地を潤しています。筑後川の水圧と激流に耐える精巧かつ堅牢な構造を持つ井堰は、「傾斜堰床式石張堰(けいしゃせきとこしきいしばりぜき)」と呼ばれ、川の流れに対し斜めに造られている国内で唯一の施設です。 南舟通し、中舟通し、砂利吐きの3つの部分に区分されており、取水量を増やし、激流と水圧に耐えるため、3つの構造的特徴があります。 (1)堰の前壁を水流に対し斜めに配置し、筑後川の激しい水圧を緩和する。 (2)取水口へ水流が勢いよく行かないよう、最も水の抵抗が強い南船通し水路側の石積みを高くし、緩やかな勾配をつけている。堰の石畳は、水量が増加した際に跳水を起こし、水勢を弱める機能も持つ。 (3)水流を、堰の末端部で合流させて減勢する。 江戸時代から原形を留めているこの優れた技術は、日本から遠く離れたアフガニスタンでもモデルとされ、多くの農地に水を供給しています。2014年には、「世界かんがい施設遺産」に登録されました。 また、2018年、堀川の恩人と慕われる古賀百工の生誕300年を迎えました。 |
【お問合せ】 |
山田堰土地改良区 (電話)0946-52-0531 |
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山田堰と中村哲医師
山田堰と堀川用水の歴史
寛文3(1663)年 | 大旱魃を機に筑後川から取水し、堀川用水を開削。150haを開田する。 |
享保7(1722)年 | 取水口を現在の位置に移し、岩盤をくりぬいた切貫水門とする。 |
明和元(1764)年 | 5年の歳月をかけて堀川用水を延長し、灌漑面積を370haに拡大する。 |
寛政元(1789)年 | 三連水車が完成する。 |
寛政2(1790)年 | 古賀百工により総石張りの山田堰が完成。灌漑面積を488haに拡大する。 |
大正2(1913)年 | 大福村他3ヶ村堀川土木組合を設立する。 |
昭和30(1955)年 | 大福村他3ヶ村堀川土木組合を廃止し、朝倉郡山田堰土地改良区を設立する。 |
昭和56(1981)年 | 山田堰の大改修を行う。 |
平成2(1990)年 | 「堀川用水及び朝倉揚水車」が、文化保護法に基づく国の史跡に指定される。 |
平成18(2006)年 | 堀川用水が農林水産省の「疎水百選」に認定される。 |
平成20(2008)年 | 「堀川の環境を守る会」が結成され、堀川用水のクリーンアップ活動を開始する。 |
平成22(2010)年 | 朝倉地区の小学4年生を対象に、熊本県小国町で水源林体験学習を開始する。 |
平成26(2014)年 | 国際かんがい排水委員会(ICID)が認定する「世界かんがい施設遺産」登録。 |
![]() 山田堰 |
![]() 堀川用水 |
アクセス(交通案内)
所在地:朝倉市山田161(水神社)
地図1:http://g.co/maps/nthh8(水神社)
地図2:https://goo.gl/maps/xsgmc5kvFSG2(木の丸山公園駐車場)
地図3:https://goo.gl/maps/vHYHJw3DSyJuGgfP9(山田堰展望広場)
【JR・バスをご利用の方】 JR鹿児島本線「二日市」駅下車 ⇒西鉄バス「JR二日市」⇒(西鉄バスで約61分)⇒西鉄バス「恵蘇ノ宿」 ⇒(徒歩約10分) ※西鉄バスは[40]または[41]の[普通]杷木行をご利用ください。 |
西鉄電車・バスをご利用の方】 西鉄天神大牟田線「朝倉街道」下車 ⇒西鉄バス「朝倉街道」⇒(西鉄バスで約55分)⇒西鉄バス「恵蘇ノ宿」 ⇒(徒歩約10分) ※西鉄バスは[40]または[41]の[普通]杷木行をご利用ください。 |
【高速道路をご利用の方】 (1)大分自動車道「朝倉I.C」で降りる。 (2)交差点「朝倉I.C入口」を左折して県道80号線に入る。 (3)交差点「ひわたし橋」を左折して県道14号線に入る。 (4)道なり(堀川用水沿い)に進むと左手に三連水車が見えてきます。 (5)つきあたりを左折して交差点「恵蘇宿」で右折して国道386号線に入る。 (6)道なりに進むと右手の水神社を過ぎて左側に木の丸公園の駐車場の入口があります。 |